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毎日新聞の取材(12月26日)3 [ドナルド・キーン先生]

毎日新聞の取材(12月26日)3

取材も無事に終えて、そして鰻も美味しく頂いて帰りました。実は翌日の午前中にもう一度森さんの取材がありましたが、私は同席できませんでした。

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毎日新聞の取材(12月26日)2 [ドナルド・キーン先生]

毎日新聞の取材(12月26日)2

取材の後、千駄木の鰻屋さん、稲毛屋で鰻を食べました。そこでも取材が続きました。

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毎日新聞の取材(12月26日)1 [ドナルド・キーン先生]

毎日新聞の取材(12月26日)1

11時から、毎日新聞の森さんの取材がありました。オバマ大統領と安倍首相が一緒に真珠湾攻撃で亡くなった方達を慰霊することについての取材でした。

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Sherley Hazzardの死(12月12日) [ドナルド・キーン先生]

Sherley Hazzardの死(12月12日)

父の親友で女流作家のSherley Hazzardの死を知らせてくれたのは、ドナルド・キーン・センター所長のデーヴィッド・ルーリーだった。

12月17日午前1時9分のメールは、

I
was very sad to see the news in the New York Times that Shirley Hazzard had
passed away. 

で始まっていた。

父は、今年三月に病床のSherley Hazzardを訪ねた。もう意識はなかったから、父の覚悟は出来ていただろうが悲しんだ。私も勿論とても悲しかった。

イタリアが大好きでナポリの別荘を持ち度々出かけていた。その大好きなイタリアで不慮の事故に遭い、それが引き金になって亡くなった。父とともにご冥福をお祈りしたい。

写真は、アメリカンアカデミーでのSherley Hazzardと父。そして父に送った書簡は、約60通ほどあった。公表は未定だが、いずれ将来研究者の間の貴重な資料となるだろう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Shirley_Hazzard

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夕食(12月25日) [ドナルド・キーン先生]

夕食(12月25日)

この日、米沢牛のフィレをプレゼントして下さった方がありました。それで父は勿論自分で調理してご馳走になりました。米沢牛は初めてだと思いますが、とても美味しかったです。

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