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得生院の公演(9月27日)163 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)163

 

勅使の帰った後、御堂を建て弘知法印を祀り、弘嗣は住持となります。

一方弘ちかは昔の跡に館を建て大沼の家も末長く栄えます。

実に華やかな大団円で、めでたしめでたしで幕になります。

江戸時代の民衆は相当に満足したと思いますし、この面白さ楽しさは現代にもいつの時代にも通じるものだと思います。

 

正本ではその年月は、光孝天皇の時代で仁和七年九月三日と言っていますが、註二をご覧になればお分かりのように実際とは違っています。

浄瑠璃や芝居には度々ある例です。

全く適当と言えば適当、馬鹿らしくも思われますが、全て虚構と思えばそれまででしょう。

あくまでお芝居ですから。

貞享(じょうきょう)二年迄八百五年と浄瑠璃で言っているは、貞享二年(1685)が浄瑠璃が出版された年、又はおそらく「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」が初演されたと年と考えて良いと思います。

貞享二年は1685年ですから、その805年前ですと西暦880年で和暦で元慶(がんぎょう)四年という年になります。

また仁和七年と言っていますが、仁和年間は五年までしかありません。

笑ってすますしかありませんね。

 

私はここを、「貞享二年迄八百五年」と浄瑠璃で言っているところを、得生院の公演から、

「平成21年迄1129年」

と語りました。

今年は、

「平成22年迄1130年」

と語ります。

 

『急ぎ御堂を立て 父の尊体を移し 弘嗣住持と也。弘ちかは 昔の跡に館を立て 末繁盛に栄へ給ふ。光孝天皇仁和七年九月三日 弘知法印往生有って 貞享二年(註二)迄八百五年 今に越後の国柏崎の近所に 御影(みゑい)(つつが)(な)し。前代未聞 有り難し共なかなか申すばかりはなかりけり。

註二 貞享二年=1685805880=元慶四年 元慶九年=仁和元年(仁和は五年迄)

IMG_0431.jpg

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IMG_0430.jpg

 

これで写真に沿って初めて「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の全文を紹介させて頂きました。

私のことですから、説明が不備だったり至らないところもあった筈ですがご容赦下さいませ。

 

(撮影:渡邊 リカルド)

 


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