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企画詳細 [「弘知法印御伝記」の企画や作品について]

本来なら5月14日の「企画概要」の直ぐ後に記載すべきことなのですが、遅れてしまいました。ごめんなさい。

企 画 詳 細 

江戸時代初めに上演、刊行されて以来300年、陽の目を見ずに異国に眠っていた浄瑠璃本がある。「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」は貞享2年(1685)に出版され、7年後の元禄5(1692)にドイツ人医師ケンペルによって長崎出島から幕府の禁を犯して持ち出された。日本では原本の残存が確認されておらず、昭和38(1963)に当時ケンブリッジ大学で教鞭をとられていた鳥越文藏先生が大英博物館で発見、翻刻(《注1》参照)出版された。外題の角書きに「越後 柏崎」とある通り、越後を舞台に物語が展開する、新潟にとってはご当地物の説経浄瑠璃である。

中世に始まる浄瑠璃は三味線の普及に連れて操り人形を伴う劇場芸能に発展し、17世紀末には「日本のシェークスピア」とも称される劇作家、近松門左衛門と組んだ竹本義太夫がそれまでの古浄瑠璃(《注2》参照)を集大成して義太夫節を創始する。文学的に成熟した大近松の作品に比べ、近松以前の古浄瑠璃は低く評価されがちだが、庶民の心情を素直に表す、素朴で力強い詞章や物語の構成には捨て難い魅力があり、現代の演劇にも様々な影響を与えている。古浄瑠璃や初期の義太夫節は口伝えで継承されたため譜面は無く、復曲して演奏することは極めて難しい。正本その他の文献はほぼ研究し尽くされているが、復曲は未開拓の分野で、学術的研究に加え、経験豊かな実演家が想像力と創作力を働かせて新たに作譜する必要がある。

現在新潟市在住の鶴澤淺造と佐渡市在住の西橋健は、大阪を本拠地とする人形浄瑠璃「文楽」にほぼ同時期に入門した。鶴澤淺造は25年間文楽の三味線奏者を勤めた後、現在は新潟で義太夫節の指導、三味線弾語りの公演を続けている。西橋健は文楽で9年間人形を遣った後、佐渡に移住し、ほぼ30年間地元の文弥人形の一座で人形を遣っている。佐渡の文弥人形は江戸初期の古浄瑠璃系一人遣いを偲ばせる希少な人形芝居として、国の重要無形民俗文化財に指定されているが、語り手の後継者不足により廃絶の危機に瀕している。文弥節を存続させると同時に、人形浄瑠璃の可能性を拡げるために、両人は互いに新潟と佐渡を往復し、文弥節を参考にした古浄瑠璃の復曲と、上演の試みを既に始めている。 

「弘知法印御伝記」との出会いを機に新潟市民から人形の遣い手を募り、市民の手作りによる復活上演が国内外の各地で実現すれば、日本はもとより海外の研究者も注目する古浄瑠璃の復活という未開拓の分野での先駆けとして、世界の演劇創造に資するとともに、文化発信の地として新潟をアピールすることが出来る。すでに上演の可能性を示唆する反応が得られた海外の上演候補地もある。

同時に、この復活上演が沈滞化しつつある佐渡の文弥人形に良い刺激となって存続継承に役立つことと、企画立案後に起きた中越沖地震により多大な被害を受けられた柏崎の皆様を励ます上演となることも願っている。

 《注1》             写本・刊本を底本として、木版または活版で刊行すること。翻印。(広辞苑より)

《注2》        義太夫節成立以前、寛永(1624-1644)~貞享(1684-1688)頃に現れた数十種類の浄瑠璃各派(薩摩節、金平(きんぴら)節、肥前節、近江節、播磨節、嘉太夫節、文弥節など)の総称、多くは一代限りで衰退し、いずれも江戸中期以降は伝承されない。(広辞苑より)

以下は、1月20日の初段の稽古で西橋さんの指導を受ける座員たちの写真です。

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