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得生院公演(H21.9.27) ブログトップ
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得生院の公演(9月27日)169 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)169

 

鳥越先生、いかにも大学者らしいご風貌と申し上げたら失礼でしょうか。

温かいお人柄で誰からも慕われる先生でいらっしゃることは申すまでもありません。

今日先生にお電話し、東京公演が10月30、31日に浜離宮朝日ホール(小ホール)で決まったことをご報告させて頂きましたが、とても喜んで下さいました。

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)168 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)168

 

鳥越先生のインタヴューの様子が続きます。

いかにも真言宗の寺院らしい背景です。

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)167 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)167

 

鳥越先生は、越後猿八座の引幕を前にしてインタヴューに応じて下さいました。

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)166 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)166

 

鳥越文藏先生がテレビ用にインタヴューに応じておられます。

おそらく開演前だったと思います。

私は準備中でインタヴューのことを全く知りませんでした。

鳥越先生にインタヴューされているのはTBS系伴組制作会社のエギュゼキュティヴプロデューサーの塩澤喜代彦様です。

いつの日かこのインタヴューがなんらかの形で放映されるのを楽しみにしています。

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)165 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)165

 

一度幕が閉まって又開けて、カーテンコールです。

皆頭巾を取って顔をお見せします。

今回もお客様から大きな拍手を頂戴しました。

本当に最後まで皆様有難うございました。

素晴らしいお客さまでした。

そして得生院は古浄瑠璃を演ずる会場としては素晴らしい環境だったと思いました。

おそらく江戸時代にもこういったところで古浄瑠璃が演じられたに違いないでしょう。

今後も機会があれば寺院での公演を行いたいと思います。

1月24日には新潟市西蒲区の角田山妙光寺で全段通しの公演があります。

以下をご参照くださいませ。

どうぞ宜しくお願い致します。

また西生寺においても公演のお話をさせて頂いています。

 

http://echigo-kakutayu.blog.so-net.ne.jp/2009-12-30-10

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)164 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)164

 

六段目の最後の場面を語っている私と、幕が閉まるところです。

私はかなりあっぷあっぷです。

無意識無感覚状態かもしれません。

姿勢もかなり崩れていて、これではいけないと思います。

しかし全段通しての公演は三回目になり、少しは全体の流れの中で体力の消耗を考えつつ、そして内容も考えつつケアレスミスを極力少なく演奏できるようになった部分もあるかと思います。

でも浄瑠璃は少し慣れて分かり始めるとむしろ難しさも出て来て悩むことが多くなる、ということも言えます。

慣れるということは良い面もありますが、悪い面も出てくることも多いので注意を要します。

初心忘るべからず、ということでしょうか。

演者が、がむしゃらに突き進んでいた時の方が聴く方や観る方にとって、緊張感もあり面白いという場合も非常に多いです。

そういったことは稽古や経験を積むことによって克服することしかありません。

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)163 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)163

 

勅使の帰った後、御堂を建て弘知法印を祀り、弘嗣は住持となります。

一方弘ちかは昔の跡に館を建て大沼の家も末長く栄えます。

実に華やかな大団円で、めでたしめでたしで幕になります。

江戸時代の民衆は相当に満足したと思いますし、この面白さ楽しさは現代にもいつの時代にも通じるものだと思います。

 

正本ではその年月は、光孝天皇の時代で仁和七年九月三日と言っていますが、註二をご覧になればお分かりのように実際とは違っています。

浄瑠璃や芝居には度々ある例です。

全く適当と言えば適当、馬鹿らしくも思われますが、全て虚構と思えばそれまででしょう。

あくまでお芝居ですから。

貞享(じょうきょう)二年迄八百五年と浄瑠璃で言っているは、貞享二年(1685)が浄瑠璃が出版された年、又はおそらく「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」が初演されたと年と考えて良いと思います。

貞享二年は1685年ですから、その805年前ですと西暦880年で和暦で元慶(がんぎょう)四年という年になります。

また仁和七年と言っていますが、仁和年間は五年までしかありません。

笑ってすますしかありませんね。

 

私はここを、「貞享二年迄八百五年」と浄瑠璃で言っているところを、得生院の公演から、

「平成21年迄1129年」

と語りました。

今年は、

「平成22年迄1130年」

と語ります。

 

『急ぎ御堂を立て 父の尊体を移し 弘嗣住持と也。弘ちかは 昔の跡に館を立て 末繁盛に栄へ給ふ。光孝天皇仁和七年九月三日 弘知法印往生有って 貞享二年(註二)迄八百五年 今に越後の国柏崎の近所に 御影(みゑい)(つつが)(な)し。前代未聞 有り難し共なかなか申すばかりはなかりけり。

註二 貞享二年=1685805880=元慶四年 元慶九年=仁和元年(仁和は五年迄)

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これで写真に沿って初めて「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の全文を紹介させて頂きました。

私のことですから、説明が不備だったり至らないところもあった筈ですがご容赦下さいませ。

 

(撮影:渡邊 リカルド)

 


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得生院の公演(9月27日)162 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)162

 

そこへ都から勅使として二条の中将がやって来て、弘嗣は権大僧都になり、千代松は父が俗名大沼権之介弘ちかとし越後の国主となり、御堂を建てて弘知法印を祀るようにという宣旨を伝えます。

 

『斯かる所へ 都より二条の中将勅使として御下向有りて「弘嗣をば(ごん)大僧都(だいそうづ)になされ 千代松を父が俗名大沼権之介弘ちかになされ 越後の(しゆ)になされ 急ぎ御堂を立て 父弘知が色体(しきだい)を移せよ」との 宣旨を(かうふ)り 有難し有難しと 勅使を帰し』

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)161 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)161

 

馬子が立ち竦んだところに神光や雷電がおびただしい程に鳴り光り、悪鬼が現れ火の車に馬子を乗せて引き廻し無間を指して連れ去ります。

 

神光(しんこう)雷電(らいてん)(おびただ) しく 悪鬼来て掻い掴み 火の車に打ち乗せ 無間(むけん)指して引きけるは 恐ろしかりける次第(しだい)也。』

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(撮影:渡邊 リカルド)


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得生院の公演(9月27日)160 [得生院公演(H21.9.27)]

得生院の公演(9月27日)160

 

弘知法印は往生の後、二段目で柳の前を切った馬子が現れ、悪所狂いし親の勘当を受けた者が仏になる訳はないと、矛で弘知法印の左の脇腹を突きますが眼がくらんで立ち竦んでしまいます。

 

『斯かる所に いにしへの柳の前を切ったる馬子 此の(ころ) 仕合(しあはせ)良く 出雲崎に有りけるが 此のを聞き「何 悪所狂いに 親の勘当得たる大悪人が そもや仏に成るべきか。狐たぬきの成るべし。生き仏ならば受けてみよ」と云ふままに 矛を以って 左の脇をちょうど突けば 忽ちみ 矛を捨て立ち(すく)みになる所に

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(撮影:渡邊 リカルド)


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