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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の十一 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の十一

 

師匠はこんなノートにも本を書いておられました。

ノートの書き本もかなり多くあります。

写真は、「曽根崎心中」の生玉社前の段のノートです。

呂勢君の師匠である豊竹呂大夫さんが、昭和四十二年に若子大夫から改名した際に書かれたようです。

襲名披露狂言が「曽根崎心中」の生玉社前の段だったということです。

呂大夫兄はまだ20歳を出たばかり位だったと思われます。

 

以上でこの項目を終えさせて頂きます。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の十 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の十

 

この本は、「妹背山婦女庭訓」三段目 山の段です。

歌舞伎では吉野山の段とか言っているようです。

勿論元は文楽にあります。

床が上手と下手の両方に出来て、舞台は川をはさんで両側で展開してゆくというおなじみの華やかで且つ悲しいお芝居です。

師匠の本にはこのように和紙に文章も朱もご自分で書きいれたものも多く残されています。

初役は、豊竹古靭大夫師匠の定高の時だったそうです。

稽古は、鶴澤友次郎師匠だったと聞いています。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の九 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の九

 

これは師匠・重造が作曲した「新曲 末廣加利」の本です。

いつの頃に作曲されたのか分かりませんが、上演記録を見ればだいたい予想がつくと思います。

文楽で上演されたことだけは確かです。

上演は一度だけだと思いますが、是非復活して欲しいものです。

本は竹澤団六となっています。

私の推測ですが、師匠は戦前の本は殆ど戦災で焼いていると思います。

この本を持っておられた弥七師匠が師匠に下さったのだと思います。

竹澤団六は弥七師匠の前名です。

弥七師匠は師匠・重造のことを、兄さん、兄さんと言って親しくしておられました。

師匠よりもずっと年下の弥七師匠が亡くなった時の師匠のお嘆きは相当なものでした。

ちょっと不思議なのは、朱は師匠・重造の字でが、文章の筆跡はどうも弥七師匠の筆跡ではないように思われることです。

弥七師匠が文章は誰かに書いて貰って朱は師匠・重造に入れて貰ったのでしょうか?

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の八 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の八

 

この本の版元は、大阪の加島屋・竹本清助です。

稽古本のほとんどはここで木版印刷されています。

時代ははっきりしませんが、明治から大正に刷られたものではないでしょうか。

最後のページには師匠が別の紙に書いたものも二枚ほど添えられていました。

疑問点なども赤いサインペンで書き添えられています。

綿密な研究の跡がうかがえます。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の七 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の七

 

呂勢大夫君に送る前に少し、三冊ほどですが師匠の本をご紹介させて頂きたいと思います。

先ず、「信州川中島合戦」三段目の本です。

この段は、「輝虎配膳」とも呼ばれています。

文楽ではあまり上演されていませんが、お聴きになったことのある方もおられると思います。

地味な難局ですが私は名曲だと思っています。

先代の綱太夫師匠と弥七師匠の名演奏が残されています。

師匠も好きな曲だったので私に稽古をして下さることになっていました。

その積りで本をお借りして、私も写し始めたのですがそれきりになっていたのです。

いわゆる稽古本に朱(譜)が師匠の筆文字で書きこまれていますが、非常に綺麗で分かり易いです。

字配りや三味線の間、語りの音なども良く書きこまれていて後世の人が見ても分かるように書かれたのだと思います。

覚書として、朱章は豊澤松太郎師、墨は綱大夫、弥七御両氏と書かれています。

つまり赤く書かれた朱(譜)は豊澤松太郎師のもので、黒く墨で書かれた朱(譜)は綱大夫、弥七両氏のものであることが分かります。

私が師匠から聞いている話では、綱大夫師匠が師匠・重造にある時、

「松太郎師匠が、輝虎配膳を覚えてはるそうやから重造はん一緒に行って稽古してもらえまへんやろか」

と仰ったそうです。

本来なら相三味線である弥七師匠がご一緒すべきところを弥七師匠がご都合が悪かったので師匠・重造に頼まれたのだそうです。

その後、師匠・重造が弥七師匠に稽古をしたと聞きました。

この辺の経緯を覚えているのはおそらく私だけだと思いますので、呂勢君も覚えておいて下さい。

お願いします。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の五 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の五

 

一枚目の写真は、胴掛けですが、かなり傷んでいますが使えると思います。

二枚目の写真は、師匠が舞台に出る時に使っておられた小道具箱です。

筆粉や調子笛などを入れておられました。

私にとっては非常に懐かしいものです。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の四 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の四

 

これは駒です。

だいたい二十丁位ありました。

保存状態も良く全て使えそうです。

虫除けの樟脳もはいっていましたから朝重さんが入れて下さったのでしょう。

白い色の駒は象牙でできていますが、一丁だけありました。

黒い色の駒は水牛の角で出来ています。

駒の素材が水牛の角になったのは江戸末期と考えられますが、その頃には輸入で来ていたのでしょうね。

二枚目の写真の二丁の駒には淺造の銘が入っています。

もう一丁には清六となっていますが、これは現在ご活躍中の鶴澤清治さんの師匠に当たる四世鶴澤清六師匠の持ち物だったと思います。

師匠・重造の師匠に当たる三世鶴澤清六師匠の駒は一丁しか伝わっていませんが、それは私が現在所有しています。

師匠から、大切にするようにと言われました。

 

三枚目の写真の駒には、「吉金(よしきん)」という銘が入っています。

これは駒の制作者の名前です。

駒の銘は、所有者の名前の場合と作者の名前が入る場合とがあります。

吉金は駒作りの名人でやはり偽物が出回ったということです。

本物は形も良いし字も綺麗です。

これは本物に違いありません。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の三 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の三

 

これは「忍び駒」です。

本物の駒を掛けて三味線を弾くとかなり大きな音が常にします。

周囲の人にうるさくないように稽古する場合は、木で出来た「忍び駒」で弾くこともあります。

小さな音しか出ないので迷惑にならないのです。

裏に師匠にサインペンの文字で重造と書いてあります。

私も同じものを持っています。

確か、文楽の床世話に柏木さんというとても器用な方がいてその方に頼んで作って頂いたと記憶しています。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の二 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の二

 

二丁目の三味線の写真です。

下棹に銘が柴健(しばけん)と入っています。

これは三味線作りの伝説的名人・柴健のことですから、柴健が作ったと思われます。

しかし私が思うには偽物ではないかと思います。

本物の柴健はもっと字が上手いです。

三味線の棹の形も柴健の作ったものと少し違っていると思います。

柴健はあまりにも有名過ぎて偽物もあったということを師匠から聞かされていました。

断定は出来ませんがそんな気がしました。

いずれにしても大正から昭和にかけての三味線です。

皮が破れていました。

名人の銘があるからと言っても三味線は消耗品ですから、長年使いこんで棹を削ったりすると細くなりますから稽古三味線にしかならない場合も多いです。

ただ私の場合現在古浄瑠璃や説経浄瑠璃を弾語りする際には駒を義太夫の駒ではなく、小さい地唄用の駒を使用していますから棹が細くても舞台で使えるかもしれません。

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思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の一 [思う事など]

思う事11(師匠・重造と朝重さんの形見)其の一

 

一昨年亡くなられた私の姉弟子にあたる女流義太夫の竹本朝重さんの一周忌の頃に、文楽の豊竹呂勢大夫君と朝重さんのお宅へお参りにうかがったことを昨年の10月半ばのブログでお話しさせて頂きました。

朝重さんと私は師匠・鶴澤重造の同門であったこと、呂勢大夫君も義太夫や三味線の手ほどきを師匠から受け一門であったこともお話しさせて頂きました。

その後、呂勢大夫君のもとに形見を取りに来てほしいとのご遺族からの連絡があり、最近呂勢大夫君がお宅へ寄せて頂きました。

昨年10月に伺った時に呂勢大夫君と私とでだいたい拝見させて頂いたのですが、今回呂勢君が頂いてきたものは師匠・重造から朝重さんがお預かりになっていた師匠・重造の本(つまり朱の入った本)と師匠から朝重さんに渡っていた三味線などでした。

師匠・重造の本は非常に丁寧に朱がはいっていて、見る人が見れば、これは相当三味線が弾ける人に違いないということが一目瞭然です。

その朱は一言で言って非常に美しいです。

そして将来的にも文楽の三味線を弾く人達にとって貴重なものとなることは疑いもありません。

ですからこれらの本は、呂勢君の手を通して文楽協会に寄贈し文楽に役立てて貰うことにしました。

三味線については私が譲り受けることにさせて頂きました。

私にとっては貴重なものですので大切に使わせて頂きます。

ご遺族の方々に心より御礼を申し上げます。

勿論、今は亡き師匠・重造や朝重さんにも。

 

三味線は三丁ありました。

明らかに師匠・重造から朝重さんに渡っていたものと思います。

写真は、三丁の三味線の内の一丁です。

三枚目の写真でお分かりのように下棹(しもざお)には淺造という銘が入っています。

皮がずれていたり、下棹も膠(にかわ)で接着してある部分がとれていますので修理が必要です。

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