思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の一 [思う事など]
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の一
文楽の人形遣い、吉田玉松さんが3月18日午前3時18分に亡くなられました。
新聞にも報道されたようですが恥ずかしいことに、私は先月玉松さんの奥様からお手紙を頂いて初めて知りました。
奥様からお手紙を頂いてとても驚き慌ててお電話をしました。
奥様のお話では、苦しまれることもなく安らかに眠りにつかれたそうです。
76歳、とのことでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
また貴重な人形遣いがひとり文楽から去ってしまいました。
玉松さんは、2007年に引退され南房総市に住んでおられたそうです。
南房総市に住まわれたのはもっと以前からかもしれません。
私が最後に玉松さんのお声をお電話で聞いたのは確か昨年の12月頃だったと思います。
11月に奥様が朝日新聞の「ひと」の欄に私が掲載されたのをご覧になって、
「懐かしくて電話しました」
と言ってお電話を下さいました。
それから電話でお話しする機会が出来たのですが、私が、
「玉松さん、そのうちに会いに行きますから元気にしていて下さいよ」
と言うと、
「おお、おお」
と、とてもお元気そうなお声でした。
まさか亡くなられるとは思いも寄りませんでした。
奥様にも、暖かくなって仕事の休める時に行きますから、とお約束していたのにお目にかかれず非常に残念です。
玉松さんとは、なぜかなんとなくご縁があって人形遣いさんの中では親しくさせて頂いていました。
私の師匠・鶴澤重造と玉松さんのお父様とが親しかったということもあるかと思います。
玉松さんの襲名披露の時には、三味線部の代表として口上の席に師匠が並びご挨拶の言葉を述べさせて頂きました。
また随分前ですがこのブログの中でもご紹介させて頂いたバーバラ足立さんともとても親しくしておられました。
私の個人的な会に何度か玉松さんに人形解説をお願いしたこともありました。
玉松さんはとても気さくで明るいご性格でだれからも慕われていたと思います。
芸風にもご性格がよく現れていて、すっきりとした遣い方で娘役や女房役以外は殆どなんでもこなせるという実に優れた人形遣いさんで、いつも舞台を拝見するのが楽しみでした。
生の舞台姿を見れなくなって本当に寂しい限りです。
写真は、玉松さんの奥様が送って下さいました。
48歳の頃のお写真だそうです。
お葬式の時に飾られたお写真のようです。
写真の前には三番叟の人形が飾られています。
玉松さんのお得意な役だったと思います。
玉松さんの遣われる三番叟はとてもひょうきんで可愛い三番叟でした。
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