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越後猿八座・座員紹介9(堀八島さん) [越後猿八座の座員紹介や動向]

越後猿八座・座員紹介9(堀八島さん)

 

越後猿八座・座員紹介の九人目は、堀八島(ほり やしま:本名・めぐみ)さんです。

 

こんにちは、堀八島(やしま、本名:めぐみ)と申します。

本年7月、鳥越先生が新潟の稽古場に足を運んでくださいましてそのとき座員一人一人、お名前を頂いただきました。がそのときから暫くは自分の名前がしっくり来ず、他の人の芸名がいいなぁ、などと不遜なことを考えておりました。しかし、今では芸名も板についた?でしょうか。

越後猿八座、2009年の復活公演、すこしでもお役にたつかしらと座の立ち上げより末席を汚しています。

 

 子供のころから自己表現が下手で、本当は違うのに、と時々悔し涙を浮かべたりしていました。でもネコが私の分身で、ネコと一緒にぼーっとしたりしているおとなしい子供でした。小学一年生のころから「役者」やってみたいとほんわりと思っておりました。が、高校にいっても演劇部にはいる勇気もなく、大学でだれも知る人がいない環境になってはじめて演研などと言う名前のつくところに入ることができました。

 やっと芝居をやれる環境にもどこか本気に関わらず、卒業直前にやった別役実作「門」がいたく染み入り、芝居をやりたい、やりたい、と言う気持ちだけが取り残されくすぶりつづけていました。30代に入り、新潟市に小さな演劇学校「アカデミーオブパフォーミングアーツ」なるものが職場の近くにでき、これだ!と入り込んだものの、自分のセンスのなさにも気がつかないまま、お金だけは飛んでいき、で学校が縮小解散するなかで自然に遠ざかっていきました。40代も後半、しばいやりたいなぁ、それだけでしたので、ある町の企画公演に参加してみたり、最近では田舎で紙芝居や絵本の読み語りのボランティアをやってみたりしていました。ま、芝居を観ることだけは収入を得るようになってから細々と続けてはきました、なにしろ面白いんですもの、どんな芝居でも。

 さて、この座にお世話になることができたのは、義太夫の師匠でもあります、鶴澤淺造、越後角太夫のおかげです。新潟市に歌舞伎を上演する座がありまして、短い期間ではありましたが、そこに在籍しておりました。その時に師匠の義太夫のお稽古につけるという幸せに巡り会い、義太夫をもっともっとやりたいと願うまでになりました。しかしその歌舞伎公演の座から離れることになり義太夫の稽古が定期的に受けられなくなりました。また師匠も種々の公演依頼等等で大変忙しくなり、勝手に弟子の一人と思いこんでいる私にとっては嬉しい反面ちょっとさみしい気持ちもないではない、状態でした。

 そこに、「弘知法印御伝記」の復活公演をするので説明会がありますよ、というお話しを伺っておそるおそる会場に行ってみた訳です。そこで、人形が好きで好きで芸にも己にも厳しくそして少年のような純真な心の師匠、西橋八郎兵衛にお会いすることができたのです。気取らない説明のあとの人形振り、もう一目で惹きつけられました。こんなお二人が情熱を燃やしている古浄瑠璃の復活はどんなになるんだろうと興味津々、自分にできるのだろうかという大きな不安を抱えつつ、素敵な座員たちに巡り合い、今に至っています。

 

 稽古が始まってからは、観ているととても愛しい人形たちなのに、自分が首(かしら)をもつといつもぎこちなく、嫌われているようで哀しくてしかたありませんでした。このまま心が通わないままそっぽをむかれるのかなぁ、とうつむいていたころ、「真明座」の、佐渡で文弥人形芝居をやっている座ですが、芝居を観ることができました。「文楽」とは全く違う洗練されたとはいえない芝居なのですが、なぜか面白くまた浄瑠璃も味があり、遣い手の熱さがひしひしと伝わってきました。そんなに面白いのなら、自分も楽しんでやれるようになりたい!と願い始めました、遅いですよね。その思いは真明座の逸見さんが稽古にきてくださり、間近で観ることができたときにいっそう強くなりました。

 しかし、まだまだまだ、ほんとうにこれからですが何卒よろしくお願いいたします。

 

 ああ、もう一つ聴いてもらいたいことがありました。30代に「おやこ劇場」にほんのわずかですが関わり、そこで舞台芸術に情熱を燃やしている熱くてあったかい方々にお会いし、舞台にかかわることってなんて楽しいんだろう!と、いまでもその熱は覚めやらず、細々と燃やしつづけています。・・・・私のぼやけているところは「思い」を具体的な形にできないことでしょうか・・・

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