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古浄瑠璃における弾語りの形態と見台 [古浄瑠璃について]

古浄瑠璃における弾語りの形態と見台

 

これまでは「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の上演を計画するに至るまでの経緯や企画の内容、そして越後猿八座の立上げ、稽古のことなどを書いてきました。最近は主に人形を中心にした稽古風景や人形の周辺のことについてでした。写真の掲載なども同様でした。

これからは勿論人形のことや座員のことも折に触れて記事にしますが、私(越後角太夫)の謂わば専門である弾語りについて、即ち演奏や作曲、三味線のこと、「弘知法印御伝記」のテキストのことなどについて触れてみたいと思います。曲として音をこのブログに載せることは可能なのですが私自身の著作権に関わることだと思いますし、上演の時までのお楽しみということにさせて頂きます。

人形と違いビジュアル面で動きや色彩面で面白みに欠けるかもしれませんが、私なりの表現で画像なども見て頂きながら説明をさせて頂きます。また私は実演者であり学術的な研究者ではないのでもし間違いや疑問などございましたらコメントにお寄せ下さい。どうぞ宜しくお付き合い下さいませ。

「弘知法印御伝記」の出版された1685年(貞享2年)という時代は、五代将軍徳川綱吉正保31月816462月23 - 宝永61月1017092月19)、在職:1680-1709年】の治世です。そして「弘知法印御伝記」を鎖国時代の禁令を敢えて犯してまで出島から国外に持ち出した(しかしそのお蔭で私達は現代においてこの作品を上演することが出来るわけですが)ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(ケンプファー)は、元禄4年(1691)と同5年(1692)に二度将軍綱吉に謁見していますが、その著書『日本誌』の中で綱吉のことを、「非常に英邁な君主であるという印象を受けた」といった評価をしています。ケンペルの綱吉観や両者の交流については中公新書刊行『ケンペルと徳川綱吉』(ベアトリス・M. ボダルト・ベイリー・1994年 ISBN 4-12-101168-6)に詳しい。

また浄瑠璃の世界では、「弘知法印御伝記」が出版された1685年(貞享2年)に竹本義太夫と近松門左衛門が初めてコンビを組んだと言われており、それ以降は義太夫節に圧倒されて古浄瑠璃や説経浄瑠璃は消えゆく運命を余儀なくされたわけです。ですからこの「弘知法印御伝記」は古浄瑠璃の最晩年期の作品と言えます。

 この古浄瑠璃の最晩年期、どのような演奏形態であったかを想像することは実に興味深いことです。でも分からないことが非常に多いことも事実です。鳥越文藏先生のお話しを引用させて頂きます。

「まず間違いなく三味線の弾き語りだったでしょう。そして全段を通して一人の演奏者が弾き語りしたことも大いにあり得ると思います」

とのお話しでした。そこで今回「弘知法印御伝記」を弾き語りするに当たって私一人で全段(約2時間45分を予定)を演奏するわけです。これは相当に重労働、というのはどなたにも想像できると思いますが、かつてはおそらくそうしていたであろうことを思うと頑張らざるを得ません。将来私の後継者が少しでも私を手伝ってくれることを願っています。

三味線と語りのことは後日にお話しするとして、今日は見台(けんだい)についてちょっとお付き合い下さい。

見台とは、その浄瑠璃本を置いて演奏しながら見る台のことです。これまで私は義太夫を弾き語りする時には、義太夫の見台を使いました。八郎兵衛(西橋)さんとの共演で、古浄瑠璃や説経浄瑠璃を演奏する時にはどうしていたかというと、適当な大きさのカバンに濃紺の紬の布をかぶせ、その上に本を置いて見台としたり、また文楽時代に日本舞踊の会などで地方(ぢかた)として出演する時に使った見台(というよりも譜面台)を使っていました。

今度「弘知法印御伝記」を演奏するに当たり、私なりの見台を設計し、友人の漆芸家に依頼して作ってもらうことにしました。設計するに当たっては、江戸時代の資料(元禄期と思われます)、

  • 『今昔操年代記(いまむかしあやつりねんだいき)』(早稲田大学演劇博物館所蔵)
  • 『世間子息気質(せけんむすこかたぎ)』(国立図書館所蔵)

の挿画にある見台を参考にしました。義太夫の見台とは似ても似つかない、単純な箱型で本を置く面は見易いように工夫して傾斜を少しつけました。塗は黒塗りではなく、拭き漆という技法で、木目が見えるようにしてみました。『今昔操年代記』の見台は黒塗りですが、『世間子息気質』の見台は明らかに木目が見えています。木目が見えた方が、むしろ素朴で古浄瑠璃の世界に相応しいと思ったからです。お客様から見える前面には、ドナルド・キーン先生の書で、「越後角太夫 ドナルド・キーン(落款)」を入れます。落款は、「鬼院」(“きいん”)となっており、三島由紀夫先生がドナルド・キーン先生との書簡の中でしばしば使っておられます。この書を見台に使うことを快く私にお許し下さったドナルド・キーン先生に心から感謝申し上げます。この見台は来年四月には友人の漆芸作家が完成してくれることになっています。出来あがるのが楽しみですし、作家のお名前もその時に公表出来ると思います。

 また余談になりますが、昨年11月と12月に新潟のりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)の能楽堂と東京・青山の銕仙会能楽研究所で計七日間、八回の公演を行った、りゅーとぴあ・シェークスピア能楽堂シリーズ「ハムレット」で古浄瑠璃風に作曲演奏した際には、人形作家の後藤信子さん(越後猿八座の座員でもあります)が特別に見台を作って下さいましたが、なかなかの出来栄えで本当に使い易かったです。

 

写真の説明です。

  • 「鳴門」を義太夫の見台で弾き語りする(2007年全生庵)
  • 「嫗山姥」の“しゃべり”を文楽時代の譜面台で弾き語りする(2006年夏季講座)
  • 「小栗判官」車曳きの場をカバンの上に布をかけて見台として演奏する(2007年夏季講座など)
  • りゅーとぴあ・シェークスピア能楽堂シリーズ「ハムレット」で後藤信子さんの見台で演奏する(2007年りゅーとぴあ、写真提供もりゅーとぴあ)

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コメント 2

おりん

実は質問がありまして。
太夫さんはめくるのは手が空いていますから問題ないと思いますが、三味線を弾きながら語るときは手が空いていないときもありますよね。
そういう時はどうするんでしょう??バイオリンとかはめくり係を観たことがある気もするのですが・・・。
by おりん (2008-07-12 10:30) 

越後 角太夫

いつも的確なご質問をありがとうございます。
実はこのことについては、いつか「本(譜面の意味)を見ながら一人で長時間弾き語りすることの難しさ」とかいうテーマで書こうと思っていました。
文楽の場合は、三味線弾きは絶対に暗譜ですからその心配はありませんよね。
今私が取り組んでいる古浄瑠璃は、佐渡で現在も上演されている文弥節と同様に一人で長時間弾き語りするわけですから常識的に考えて、語りも三味線の譜も暗記して演奏するのは無理です。
しかしその昔、平家琵琶も佐渡の文弥節など、視覚障害者の方達によって継承されていましたから、暗譜しておられたわけで、人間業とは思えませんよね。
まあそれはそれとして、実際には三味線を弾かなくてよい時に、つまり詞(ことば、即ち通常の演劇では台詞)を言っている間に、本をめくります。でもちょうど本をめくる箇所が、三味線を弾かなければいけないところだったとすると、もうそこだけは暗譜しておいて、その前後にめくります。
慣れてしまえば何でもないことなのですが、バランスよく、良い間合いでめくらないといけませんし、もしめくり損なったりした場合は悲劇的ですよ。
ですからめくり易いように本の端を舞台に出る前に折っておいたりもします。
確かに私もバイオリンとかピアノでめくり係を見た経験があります。
いつでもご質問をお待ちしていますよ~!
by 越後 角太夫 (2008-07-12 18:55) 

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